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今日は、午前中に面会にいきました。
9時すぎにGCUに入りました。
今日の担当さんは、Y本さんでした。
これから沐浴ということで、一緒にやりました。
午後から実家の母と会うことになっていたので、10時半までの
面会でした。
 
今日は午後3時から脳のMRIの検査で下の階に降ります。
2時からお薬を飲ませて、眠らせて体を動かなくさせてから、
検査をします。
検査の時には、強力な磁石の中にはいるため、ボタン類はNGという
ことです。
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そのため、今日は沐浴が終わって、お着換えは私が持ってきたもの
ではなくて、病院のものを使いました。
病院のお洋服はYちゃんにとっては小さくなってしまったのですが、
ロンパースを上着として使ったら、着ることができました。
上着は病院の白地に可愛い柄がはったもの。
ズボンは私が持ってきた紫地に白の水玉でした。

その組み合わせも可愛かったのですが、お腹がでないように、上着を
ズボンの中にいれたら、戦時中のモンペ姿のようになりました。
看護師さんも笑っていました。
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↑ 吸引

それから今日は訪問看護の話をしました。
結局、退院してからは、病院では支援をすることができないので、
訪問看護に来てもらって、地域の情報を得たほうがいいとのことでした。
 
Yちゃんの場合は、病状により2つの訪問看護ステーションから各2日、
合計週に4日の訪問看護を受けることができます。
 
私が、これまで交流をしてきた早産児それから障害児のママたちとの
お話の中で
「預ける先がない」
というのが、一番深刻な問題のようです。
もちろん受け入れる側としては、何かあったらいけないので、
「前例がない」
とお断りをするほうが楽なのです。
その気持ちも立場もよくわかりますが、それではそういう子たちを持った
ママたちが困ってしまう。
深刻な問題だと思います。
 
私はYちゃんが退院したら、地域担当の保健師さんにも来てもらうつもりで
いますし、自治体で2ヵ月にしている「早産児の会(名称は定かではありませんが)
にも参加する予定です。
 
それで、情報を得られること、託児施設を使うことができるなら、いいのですが、
もし、それができなかったら、考えないといけないと思います。
行政に働きかけることをすると思います。
それは、まだ先の話なので、自助努力ができる範囲で動いてみようとは、思っています。
 
 
沐浴がおわって、吸引をしました。
吸引は、時間がかかるので、4リットル/分と少し流量を増やして
行っています。
それでも15分ほどかかります。
Yちゃんは吸引中にあまり頭を動かさなかったので、やりやすかったです。
それから、Yちゃんは、髪の毛にくしを通されて、髪がさらさらになりました。
今日は、11時のミルクとお薬まではできないので、Yちゃんと遊ぶだけにしました。
 
話は変わって、GCUの中に私とお話をしたいママがいるという話を書いたことがあります。
今日の担当さんは、その話を持ってきた方でした。
私はそのママのために、話があってから私の連絡先を書いた名刺を渡してもらおうと
持ち歩いていました。
今日は、たまたま話を持ってきた看護師さんが担当になったので、
名刺を渡してもらうように依頼しました。
また、相手の名前は看護師さんから教えられないようで、私のほうから
「○○ちゃんのママですか?」
と聞くと、当たっていました。
声をかけるタイミングを見つけて、声をかけたいと思っています。
10時半すぎには帰ってきました。
 
 

ここからはママのひとりごとです。
さて、このママは退院指導も入っているので、退院も近いのだと思いますが、
子供がミルクの注入が必要な子なのです。
注入を自宅に持って帰るのだけでも不安だそうです。
GCU内の他の子は、哺乳ができるので、注入の装置がぶら下がっていることはないですし、
GCUに入った子はすぐに退院していく子が多く、周りが次々に退院をしていく中、
わが子が取り残されていくのが不安だと云う事とです。
 
そこで、同じGCUの中を見渡して、注入の装置があるのは、Yちゃんのところだけで、
Yちゃんという存在をを認識したそうです。
近くに寄るとYちゃんは自分の子よりも大きい。
ということは、入院の日数も多く、その分だけ、Yちゃんもママも頑張ってきたという
こと。
そこで話をしてみたいということだったそうです。
 
 
私としては、Yちゃんは284グラムで生まれて、ここまで頑張って生きてくれたこと、
退院まで時間がかかってしまっているものの、容体が安定していること。
そして、時間がくれば必ず退院できることなどを考えていて、
注入を持って帰るのが不安とか、他の子と違うとかは、考えたことがありません。
「Yちゃんは、他の子と違って当たり前」
と思っているので、他の子と比較するという考え自体が、私の中に存在しないのです。
それに、注入をもって帰ることになっても、退院できるだけで素晴らしいことですし、
いつかは、注入もいらなくなる日が来て、自分の口で離乳食を食べることができると
信じていますので、注入を持って帰ることに対して、少しの不安もありません。
 
こういう早産児や障害児を持ってしまったママが、子供の未来について不安になって
しまったら、いくらでも不安要素が出てきます。
それは、どの子も同じ条件だと思います。
ただ、一つだけ言えることは、
「いくら心配してもママは治療はできない」
ということです。
心配して、容体がよくなるなら、いくらでもしていいと思います。
「ドンドンやってください」
と言いたいです。
でも、いくら心配してもその子の病を治してあげることはできません。
信じて見守ってあげるしかないのです。
 
私は、
「よくも悪くも思考は現実化する」
ということを知っているので、Yちゃんのことで心配をしたのは、産んでから1週間だけ
でした。
そのあとは、
「必ず良くなる」
「今日一日は、最高に幸せな日なんだ」
と思って過ごしてきました。
そして、まったくその通りになりました。
今は、Yちゃんを産んでからの日々が本当に幸せで、楽しいものだったと振り返ることが
できます。
しかし、
「心配、心配」
と思って過ごしてきたら、こんなに幸せを感じてこの1年4カ月を振り返ることはできないと
思います。
 
ある出来事が起こった時に、
「何を考えるか」
それだけだと思っています。

とんでもなくびっくりするような悪い出来事が起こった時に、それでも
「幸せ」
と思えるかどうか、だと思います。
それを神様は試しているのだと思います。
私は、Yちゃんが284グラムという日本でも10本の指に入るくらい小さく産まれたときに
「幸せ」
と思うことができ、そしてそれを貫いてきました。
だから、神様が○(丸)をくれて、これからの人生も神様がずっと私に味方としてくれる
のです。神様からの課題を優秀な成績でクリアをすることができたからです。

だから、このママとお話をしたいと私が積極的になっているのは、心配や不安を持っている
ことを手放して、こういう考え方を持ったほうがいいと伝えたいからです。

以上、ママのひとりごとでした。

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