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私が最近、考えていることを書いておきたいと思います。

 

 

私は、MFICU(産婦人科の集中治療室)に1週間入院をしました。
出産前、出産後の1週間は緊急性のある患者だったわけです。
出産の1日前に臨し体験をしたことも、書かせていただいたとおりです。
 
 

おかげさまで小さく産まれた子供も、生きることができています。
最近、私が考えていることは、
「この命は与えられものなんだ」
ということです。
 

私は、神様と言うのが好きなので、神様という言葉を使いますが、
それを、大宇宙とか、エネルギーとか、サムシング・グレートという言い方
をする人もいて、それは人それぞれ、呼びやすい言葉を使えばいいと
思っています。
 

私は、神様が好きなので、神様と言う言葉を使わせてもらいますね。
 
 

さて、
「命と言うのは、自分で生きているようで、実は何か大きなものに生か
されている」
これが私は、小さな赤ちゃんを産むことによって、体験したことです。
 

生きられる命、生きられない命があるとして、その生きられる、生きられない、
それを決めるのは、なんなのでしょうか?
 

私は、自分の体験から、生きられる命というものがあると思いました。
私の子供のYちゃんの場合、何度もつらい経験をしながらも、それを次々に
乗り越えていきました。
その過程の途中から、私は、この子は「生きられる命なんだ」と思いました。
 

生きられるかどうかを、決めるのは、この子の生命そのものなんだとも思いました。
そしてその命というものを、誰が宿したかと言うと、やはり命は神から
与えられたものとしか、考えられません。
どう考えても、人間が作り出したとは思えないのです。
 

命とは、与えられるもの。
だから、生きられる子は、どんなことがあっても生きることができるのだと。
 
 
 

話は変わりますが、斎藤一人さんが、ある人の質問に答えていました。
「資本とは、自分だ」
と。
 

与えられる命と、自分が資本、この二つのことがしばらく心に引っ掛かり
ながら、日々の生活をしていた時に、
この斎藤一人さんの言っている意味が、あるときによくわかりました。
 
 

資本とは、お金や人材などと考えてしまいますが、
この与えられた命そのものが、資本なんだと。
 

この命を使って、新しい価値を生み出すこと。人のお役に立つことをすること。
それにより、その対価として、お金をいただく。
そうしていけば、ひとりさんのように大金持ちになることができるということ。
 

資本となる命さえあれば、何があっても、何度でも立ち直ることができる。
この命が、大きな財産。それ以上の財産って、ないのです。
 

「与えられた私の命。それを使って、何をするのか?」
私は、今、それを考えています。
 
 

「この命を使って、何をしたいのか?」
「どういう価値を人様にもたらすことができるのか?」
「自分がしたいことではなくて、人様からみて価値あるものを、提供するには、
どうしたらいいのか?」
 

お役に立つこと、新しい価値を提供すること。
 
 

私には、私の使命として何ができるのか、与えられた命を使って、何ができるのか?
私の個性をもっともよく表現する、何を提供できるのか?
 

それを考えています。
まだ、思索段階ですが、これを突き詰めていくことが、今のところのやることらしい
ですし、考えていくことが、楽しくもあります。

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